作り手

奈良県奈良市『赤膚焼 大塩恵旦』

No.004

500年の歴史を持つ赤膚焼を通じて届けたい食の楽しみ

万葉集の「青丹(あおに)よし」は奈良にかかる枕詞で、焼き物に適した土があるという説があります。奈良県五条山一帯の丘陵で作られる焼物は赤膚焼(あかはだやき)と呼ばれ、豊臣秀吉の弟、秀長が茶器を作らせたことが産業の始まりとされています。その後、江戸時代末期に赤膚焼の名工・奥田木白によって現代の奈良絵の入ったスタイルとなり、全国へ広まりました。 鴻月の赤膚焼をお作りいただいてる大塩恵旦先生に赤膚焼の魅力や作品の特徴やこだわり、今後チャレンジしたいことなどお話をお伺いしました。

作り手 『赤膚焼 大塩恵旦』
お話を伺った方

大塩 恵旦さん

大塩 アミさん

お取り扱い商品
  • 抹茶椀
  • フリーカップ
  • 取り皿(大/小)

赤膚焼といえば、奈良絵が有名です。いろいろな模様を組み入れ、繊細なタッチ、キュートでポップという言葉がぴったりの奈良絵は、今は奈良の風景や鹿が描かれた物が多いのですが、その原点はお釈迦様の生涯や昔の物がりを手本に生まれたと言われています。そんなストーリー性が楽しめるのも奈良絵の魅力です。

 

焼き物好きに知って欲しい赤膚焼の魅力

 独特のタッチと色合いの奈良絵が描かれる赤膚焼は使う人をほのぼのとした気持ちにさせます。以前はあまり知られていなかったのですが、それは地元でずっと使われていたからだと言われています。

 

他とは違う赤膚焼

大塩先生の作品は、一般的な赤膚焼と比べると薄手なので、軽くて扱いやすいと言われるお客様が多いそうです。また薄手にすることでお料理や飲み物などの温度感を感じていただきたいという想いがあるそうです。

 

「お料理がおいしそうに見える」ことにこだわる大塩先生の器へのインスピレーションはご自身が外食される時などから得られているそうです。そして作品1つ1つに反映され、次のプロセスを経て作品となり、お客様のもとに届けられます。

 

自分でまずは使ってみる

試作品を作って、まずは自分で使ってみる。その中で、ソースと混じらないようにこの辺りに少し土を盛ろう、奈良絵はこの位置に絵付けしようと考えるそうです。そして、厚みや口あたり、ラインを見ながら微調整していきます。そういったプロセスで、先生自身が納得されたものだけが商品としてお客様のもとに届けられています。

 

陶芸の道を選んだきっかけ

窯元の父の姿を見て、子供の頃から土で遊び、作品作りをしていました。ものづくりが好きだったことから、専門学校へ進学し本格的に陶芸を学びました。兄が父の跡を継ぎ、自分は職人の道を選ぶか、独立するか選ぶタイミングで独立を選び、今に至ります。

 

次に鴻月で作りたいのは?

 「次に鴻月で作りたいものはありますか?」とお尋ねすると、「抹茶椀としても使えるかき氷を入れる器を作ってみたい」と言ってくださいました。私たちが夏にお打ち合わせにお邪魔した際も、美しい器に盛つけられたかき氷でおもてなしくださったのは今も印象に残っています。その時のお味は今でも思い出せるほどおいしく、器で印象やお味が変わるという経験をさせていただきました。今から楽しみです。

 

「他には、一点ものをたくさん出したいです」と語る大塩先生。鴻月のサイトで大塩先生の一点ものの器が並ぶのを想像するだけで私たちがワクワクしています。

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